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野村克也氏と沙知代夫人(サッチー)との出会いが南海ホークス身売りの遠因?

time 2020/02/12

野村克也氏と沙知代夫人(サッチー)との出会いが南海ホークス身売りの遠因?

まえがき。あえて野村克也氏の黒歴史を書きます

競輪予想お休みなので、客寄せに雑談。
2月11日午前3時半、野村克也氏が虚血性心不全のため死亡しました。享年86(満年齢84)
野球選手として、また監督としての華々しい実績や美談は、散々語りつくされるでしょうから、あえて負の側面を書きます。

チームクラッシャーだった?野村沙知代氏

野村克也氏(以下野村、他の人物も基本敬称略)、昭和45(1970)年、恩師たる鶴岡一人監督の後を受け、南海の監督にプレーイング・マネージャーとして就任しました。

4番を打ち、捕手を務め、監督として指揮を執る。
これだけ権力が集中しては、いい気にならない人の方がおかしいのやもしれません。

問題が起こったのは昭和50(1975)年

当時40歳の野村は既婚者でした。
ところが、昭和45(1970)年ごろ、当時ホステスだった沙知代(出生名伊藤芳枝、沙知代になったの1976年だが便宜上沙知代またはサッチーとします)にであい、男と女の関係になっていたのです。

つまり、不倫です。

さらにまずいことに、不倫相手のサッチーもまた亭主持ち(ユダヤ系アメリカ軍将校アルヴィン・エンゲル)だったのです。

つまり、ダブル不倫です。

不倫そのものも褒められたことではないですが・・・

その後の騒動の元凶は、そこでの野村&サッチーの行動

第一に監督の行動。
サッチーは東京のクラブのホステスで、旦那と別居、ひとりでマンションに住んでいました。
ホークスが東京遠征の際、野村は試合以外の時間、そこへ入り浸りに近かったそうです。無論、門限など守りません。
すると?
監督すら守らないような門限を守る選手などおらん、となります。
で、飲み歩いて門限無視の選手が相次ぎ、モラル的にルーズになりホークスの弱体化を招きました。

第二にサッチーの態度。
野村の寵愛を受けるようになったサッチーは、徐々に野村の夫人づらをして表に出るようになってきました。
真相は不明ですが、コーチ人事や選手起用に口を出すようになっていたとさえいいます。
ま、はっきりしているのは彼女の息子である(まだ野村の子どもではないのに!)ダンとケニーを球場へ連れてきて遊ばせていたのは事実です。
さらに、大阪・高槻市の西武デパートに、野村が輸入雑貨の店をテナントに入れたことがあったが、実はこれはサッチーの経営だった、という話もあり、開店時に、店へ買い物へ行かなかったコーチを彼女がチェックしていた、などといううわさもありました。
彼女のことはチーム内で「助監督」ならぬ「女監督」という隠語で呼ばれていたといいます。

そうなれば、当然チームの雰囲気が良いはずがない。野村監督に批判的になる選手が多くなるのは当たり前です。
しかし、こういうことに敏感なのが野村監督らしいところ。
当時の大阪球場のロッカーに盗聴器が仕掛けられていたという話がまことしやかに伝わっています。
ロッカーだけで話したはずなのに、いつの間にか監督に耳に届いている。
監督側近の広報などからそれとなく注意された選手も出てきました。
ロッカーでの話が筒抜けになっている!と選手間に動揺が走り、盗聴器疑惑が出ました。
盗聴器があったか否かはともかく、
選手間の話が筒抜けになっていたのは確かなようなので、
野村子飼いの選手がいて、彼が点数稼ぎのために自主的にチクったか、あるいは野村(かサッチー)に指示されて、スパイを買って出ていた、と見る方が現実的だと考えられます。

話がここまで広がってくると、野村監督の行状もやがてはオーナーの耳に

当時の南海ホークスの川勝伝オーナーは野村監督に全幅の信頼を置いていました。名将・鶴岡(鶴岡氏については後述)に育てられ、跡を継いだ直系の弟子のようなものだからです。

従って、当初この話を聞いた川勝オーナーは大したことではないとして相手にもしなかった。後に騒ぎが大きくなっても、「下半身と上半身は別物だよ」という名言を吐いて笑い飛ばしました。

だが、話はそれだけでは終わりませんでした。
状況は一転、野村監督解任に進みました。

昭和52(1977)年11月。ホークスは突如、野村解任を発表

解任理由はなんと前代未聞の珍妙な理由

「公私混同によるチームへの悪影響」である。

この抜き打ちともいえる仕打ちに野村は態度を硬化、マスコミを避けて沈黙を保ち自宅マンションに閉じこもってしまった(なんだか後年の廃業直前の横綱双羽黒みたい)。
そんな中の12月。今度はいきなり記者会見を行う旨をマスコミに通達、大阪のロイヤルホテルに於いてひさしぶりにその姿を現した(このあたりも双羽黒みたい)。

そこで発した一言がなんと「鶴岡元老に蹴飛ばされた」

関西のプロ野球界は仰天しました。

鶴岡一人氏は、監督としての経歴は一流で、23年に渡ってホークスの監督を勤め上げ、リーグ優勝11度、日本シリーズ制覇も2度、監督としての通算勝利数1773勝という超大物です。
日本のプロ野球に2軍制度を設けることを提唱し、テスト生上がりの野村や広瀬を育てるなど人材育成にも優れ、その義理堅い人情肌の人柄は、外国人選手たちの心まで掴んでいました。
その実績からも、南海球団を陰から操り、院政を布くことも可能だったでしょうが、その手のことは一切タッチしなかったといいます。G球団のドン川上氏とは違って分別ある方でした。

育ての親と言って過言でない鶴岡に対し、なぜ野村は恩をあだで返すように記者会見で非難したのか。
いままで庇ってくれた川勝オーナーが、突然の心変わり(と、野村には思えた)で解任を発表した。とすると、オーナーに対し、自分以上の影響力を持つ人物が関わったに違いない。となれば、それは鶴岡さんしかいないではないか、と野村は見たのかも知れません。

では実際に鶴岡はオーナーに告げ口をしたのかというと、どうもそういう話はどこからも聞きません。
チーム内の一種異様な雰囲気に耐えきれなくなった球団関係者、オーナーに内情を告白する手紙を送ったらしいです。オーナーも憂慮、急遽、側近の人物や関係者を使って内部調査を始めると、予想以上に様々な話が出てきてしまい、さすがに川勝氏としても黙視出来ず、野村解任に踏み切ったようです。

オーナーに内部告発した複数の球団関係者というのが、鶴岡氏に近い人物であった可能性は十分にある。ただ、もし仮にそうであったとしても、鶴岡氏から指示や示唆があってのことではないのは間違いないでしょう。

つまり鶴岡元老云々は野村の一方的な思い込みによるものなのでしょうが、意を決した野村は、前述のような記者会見を行なったのです。
ただまあ、これはあくまで野村が個人的に行なっただけなのであって、
ホークスとしては「関係ありません」と言っていればそれで済んだ・・・はずですが、それだけでは終わらなかったのです。

なんと野村に同調する選手が現れたのです。しかも投打の主力

ひとりは江夏豊投手、もうひとりは柏原純一一塁手でした。

これにはさすがに球団も困りました。手を尽くして慰留に務めましたが、両者の決意は固いまま。

困り果てましたが、すでに広瀬新監督の体制も決まっており、このまま不満を燻らせたままの野村派領袖をチームに残しても、おかしなしこりが出来てしまうのではないかと思い直し、諦めて移籍先を探し始めました。

そして江夏は広島、柏原は日本ハムへトレードされました。トレードなのだから交換相手が来たわけなのですが、どう見ても格落ち選手(あえて名は秘す)。相手に足下を見られてしまったのです。

現に、通年順位が1977年2位→1978年最下位となり、江夏と柏原の抜けた穴の大きさを物語ります。
江夏と柏原両名が移籍先で大活躍したことは、コアな野球フアンには、今更言うまでもないでしょう。

あとがき

そして、1979年以後南海ホークス身売りの1988年に至るまで、年間順位は5→6→5→6→5→5→6→6→4→5と、ダイエーに身売りされるまで二度とAクラスにのぼることはありませんでした。

なおこの記事、察しのいい方は判ったでしょうが、
この記事は「私を野球に連れてって!」「事件32」のリライトというか、ほぼ転載です。

追伸

まあ、ほぼ転載で終わるのもアレなんで、上述の野村解任直前のエピソード見つけましたので転載し感想をのべます。

二宮清純コラムプロ野球ガゼットより、「野村夫人”サッチー”こと沙知代さん急死 球史を変えた「刀根山事件」の真相とは?」から(刀根山とは野村監督のマンションがあった地名)

解任発表を前に、後援会長を務めていた比叡山の高僧は野村さんを呼び出し、こう問いただしたといいます。

<「野球を取るか、女を取るか、ここで決断せい!」「女を取ります」「野球ができなくなってもいいんだな」「仕事はいくらでもあるけれど、伊東沙知代(編注・当時)という女は世界にひとりしかいませんから」>(プロ野球重大事件・野村克也著・角川oneテーマ21)

野村さん、まるで昼メロの主人公のようです。しかし、この一言が命取りとなりました。以来、野村さんは球団との連絡をピシャリと断ちました。

上述のいきさつから、野村氏が沙知代氏をかばう気持ちは理解できますが、どちらにせよ南海球団にしてみれば迷惑以外の何もんでもなかったことに違いはありません。

たしかにあの解任劇で江夏の21球は産みましたが、ホークスがその後長らく低迷し、身売り後再び強者となって、紆余曲折を経て今や巨人に替わる事実上球界の盟主になるまでに長い長い歳月がかかったこと考えますと、心中複雑、

勝つ奴がいれば負ける奴がいる、それが勝負の世界の掟なのか、と。


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